長年の皆様のご好意 本当にありがとうございました

     

中間法人大阪府内科医医会 
          前会長 山家 健一

 4月19日をもちまして会長を退任いたしました。長い間の皆様のご好意に厚く御礼申し上げます。
 本会の歴史を顧みますと、記録にとどめられるべきことは先代の樋口正大会長の時代に戻ります。前進の形態は、昭和32年に大阪内科小児科医会として発足したと聞き及びます。日本内科学会が認定医制度をひくことになりました。それまで内科学会は大学関係者を中心に認定医を出しており、開業医はまったく無視されていました。開業医は仕事だけしていればよいのであって、勉強には関係ないし、認定医を与えるような存在ではないというのが学会の姿勢でした。東大を中心にしたその制度にもろに入り込んでいったのが九州の権藤先生、そして京都の高島先生でした。このお二人の先生は「開業医は仕事をしながら一生懸命勉強している。日本内科学会の会員でありながら大学関係者と開業医を区別するのはおかしい。臨床の場において患者に直接接して第一線を担っているのは内科医であり開業医である」と一生懸命説得されました。昭和62年に千葉で開催された内科学会で会頭のご理解を得てやっと、開業医に日本内科学会が目を向けてくれるようになりました。日本内科学会の認定医として、内科学会の会員歴、学位論文があることと同時に、臨床としての研修の場が都道府県の内科医会であることが条件となりました。大阪はその時点で「大阪内科小児科医会」であることがネックとなりました。 昭和61年の冬、中島内科小児科医院に巨頭が多くお集まりになりました。樋口先生は小児科にも多くの友達をお持ちでしたが、内科医会という単科医会にすると大決断をされ、そのおかげで、大阪に300名の「日本内科学会認定医」が生まれました。
 樋口先生はこの大決心とともに、会がまっすぐに内科に向けて、日常診療に向けて進んでいくという姿勢を示されました。
 大阪内科小児科医会が大阪内科医会となり、大阪府内科医会時を経て平成17年に法人化されたことは先生方、ご存じの通りです。法人化されたことをテコにし、色々なアクティブな事業が進んでおりますが、幸い現在では若い頭脳とエネルギーのおかげで、臨床内科学に対する情熱が脈々と燃え続けております。
 私は平成9年から会長職に就かせていただきました。その前に日本臨床内科医会総会の第1回目が大阪で開催されました。その当時、樋口先生は入院中でありましたが、番頭役として総括をさせていただきました。日本内科学会の会頭は阪大第1内科の鎌田教授でした。鎌田教授はちょうど退官されるところで、その番頭役が当時講師の堀先生でした。堀先生はやがて教授になられ、この3月にめでたく退官されて成人病センターの総長になられました。私も今回をもって退任させていただく決心をしました。大阪大学の第一内科と歩を並べてこの会が進んできた、色々と難関があったときは堀教授にお教えを頂いた、こんなことを考えますと、感無量のものがございます。
 今まで、非常にわがままで唯我独尊で進んできました私に、ご理解とご援助を賜りました皆々様、本当にありがとうございました。