新任役員です どうぞよろしく

 

副会長  樋口 徹
 このたび副会長を仰せつかりました樋口徹です。今までは理事として医会ニュースを担当していました。
 大阪府内科医会のの発足当時といえば、学会に出席することもままならない開業医のための勉強会を主体として活動していましたが、現在では多くの講演会、勉強会が多く開催されはじめ、学術的な面では目的が達せられはじめました。社会情勢の変化とともに、各医療機関の機能分化が求められはじめ、さらには在宅医療、在宅ターミナルケア、在宅介護など、従来の診療所からの診療形態の変化が求められはじめました。このため、当会の活動も、患者の目線に立って、開業医との信頼関係を再構築するための活動が必要となり、市民講座の開催、情報誌「きらら」の発刊、推薦医制度の発足が加わりました。
 この間にも大阪府医師会、各医会また各医師会との協力がより求められ、講演会の内容においても在宅医療に必要な他科との知識交換的なものも増えてきています。また生活習慣病予防ネットワーク・精神科ネットワーク、糖尿病・脳卒中・癌などへのクリティカルパスへの参加活動も始まっています。
 福田新会長となり、これらの活動の一層の充実を目指していくわけですが、そのお手伝いをしていきたいと思います。医会の活動理念として、開業している先生方が日常診療、在宅医療さらに介護、ターミナルケアに携わるとき、各種関連団体機関との関係で足りない部分を補うこと、またマスコミが煽る健康ブームで不正確な医療、健康情報が氾濫している現在、市民に健康・医療に対する正しい知識と理解を持っていただくことと思っています。このために内科診療を行っている全ての医師に会員になっていただき、会の中で各科の医師同士、さらに医師と患者、その家族とのネットワークができればと夢見ています。私的なこととなりますが、私は還暦を過ぎていますが、春、秋の気候が良いときはゴルフを、冬はスキー、夏はキャンプと体を動か
して楽しんでいます。新会長はじめ理事の方々も若くて活動的な先生方が多く、当会も一層充実するものと思われます。

 

副会長  泉岡 利於
副会長に就任しました泉岡利於です。戸籍上は「利雄」ですが「利於」のほうがすべてにおいてうまくいくということがあり、新生「福田政権」のご挨拶ではこの文字を使わせていただきます。至らぬ点も数多くあるかと思いますが誠心誠意がんばっていこうと思っております。
皆様もご存知のようにこれまで、永きにわたり山家先生が会長として活躍され、その中で会員数の増加や一年に多くの研究会の開催など日々のご苦労とともに、市民講座の開催・一般誌きららの発行・会の中間法人化・推薦医の発足・生活習慣ネットワークとGPネットワークの発足など多くの新しい事業をされてこられました。その中でまだまだ軌道に乗っていない事項もあります。一般府民の方に、市民講座や「きらら」を通じて内科医会と推薦医のことを広く知っていただき、会員の先生方の日常臨床にお役に立つように、さまざまな事項を出来るだけ早い時期に軌道に乗せていくことが重要であると感じています。
また、現在、大阪府内科医会の会員数は約900名になりますが、大阪府で内科を標榜されている診療所のわずかにしか及びません。内分泌や循環器や消化器など専門性の高い内科の先生方に入会していただいて、また整形外科や一般外科などの内科以外の専門の先生方にも、入会していただいて納得いただける会にしていく必要性があると思っております。そのためには、内科学会とは異なった位置づけで、より臨床に即した会の充実が必要と考えます。
今期より、福田会長をはじめ理事役員が大きく変わりました。福田会長を中心として内科医会に何ができるかを十分意見交換しながら、色々な試みをしていければ良いと思っています。また、一般会員の先生方のご意見も出来るだけお聞きしていきたいと思っております。

 

理 事   井上 正純
吹田市南部のJR吹田駅近くで、平成16年9月から脳神経外科および神経内科のクリニックを開業しています。それまでは大阪府立病
院(現大阪府立病院機構 急性期・総合医療センター)や県立奈良病院救命センター・奈良県立医科大学附属病院などで脳神経外科医として勤務していました。開業にあたり専門性をもちつつも、かかりつけ医として地域医療に携っていきたいと考え、幅広く内科的な
知識を学びたいと大阪府内科医会に入会しました。講演会などで日々新たな知識を学ばせて頂いています。
このたび、理事にというお話を頂いた時には、開業して日も浅い私に大役が務まるのかと思い、また現在も不安な面もあるのですが、先日まで勤務医をしていたからこそ、あるいは外科系出身で脳・神経疾患や救急医療に携っていたからこそ出来る事もあるのではないかと考えております。
私の趣味はスキューバダイビングです。といっても長期休暇時などに年、数回潜るだけのダイバーです。細々と続け、かれこれ15年ほど経ちました。最初の間は海に潜る恐怖感の中に少し潜る楽しみがある程度でしたが、細々であっても経験を積むに連れて海の美しさや自然の神秘さや雄大さを感じることが出来るようになってきました。ま
た進む方向も潮の流れとガイドのインストラクター任せであったのが、ガイドなしの場合でも自分なりに考えてバディ(ダイビングで一緒に潜るペア)とある程度は進んでいけるようになりました。
大阪府内科医会理事の仕事は、細々とではなく自分で出来る限りのことを全力で務めさせて頂きたいと思います。何分浅学非才の身でありますので当初はインストラクター任せかもしれませんが、歴史のあるアクテイブな医会の名を汚さぬよう、福田会長のもと頑張っていこうと思っています。

 

理事 大西 洋子
2年前に亡くなりました、樋口正大の娘、大西洋子です。亡父が一生、気にかけて、大事に創り上げてきた大阪府内科医会に理事として就任させていただきまして、心から感謝しております。亡父からは、目の細さと、少しお酒好き(少しだけです)のところは受け継ぎましたが亡父ほど仕事ができるのかは……疑問の残るところです。
 女性が仕事と家庭を両立することは大変難しく、現在は特に女性医師の問題がクローズアップされています。私は研修時代から無計画にも4人、次から次へと子供を産み、育ててきました。4人目の子供も今年20歳を迎え、ようやく少し先が見えてきたかなという感じです。しかし父母のおかげで子育ても仕事もなんとかやってこられたのだと思い、感謝しています。卒業して小児泌尿器科を目指していましたが、父の病気をきっかけに樋口医院を継承し内科、小児科、泌尿器科で開業しています。最近では7割が小児科の患者さんという状態です。実際に医院を継承して、亡父の歩んできた地域医療の大切さをひしひしと感じています。内科、小児科の勉強はまだまだ足りないのだと患者さんから教えられることもしばしばです。しかし小児泌尿器科をしていたこと、4人の子育てを経験したことは地域の小児科医としてたいへん役に立っています。小学校の校医や園医をしていることもあり、地域の子供たちが皆、自分の子供と同じように可愛いと思えるようになりました。子供の家族も内科でかかってくださり、家族ぐるみ診ている−という実感の多いこの頃です。亡父のような立派な地域医療ができているかどうかわかりませんが、一歩ずつ近づこうと努力しております。

 

理 事   M田 洋一
2年前に東大阪で開業し、今はまだ診療所の基礎固めの段階だと思っているこの時期の突然の理事指名となりました。医師として、カトリック医師であった永井隆博士の言葉『如己愛人』(にょこあいじん、己のごとく人を愛せよ)をモットーに診療を行うことを、いつも心がけております。専門は糖尿病・内分泌代謝ですが、専門にはこだわらずに地元に密着した「かかりつけ医」を目指し、いずれは以前より興味のあったターミナルケアに在宅医療の形で関わりたいと思っております。ちなみに私生活では1歳から14歳までの5児(3男2女)の父親です。
勤務医として働いているときは、専門分野における最新の知識の習得と技能の向上、そしてそれを日常の診療に生かすことに専念していました。しかし、開業すると専門分野以外も含めて全人的に診察することが求められ、よろず相談所としての能力が求められます。
そして簡単に外来を休むことはできませんから、平日に開催される各学会に参加することも難しくなりました。また開業すると、保険診療のしくみについても学び考えなければならなくなり、最近の医療政策の問題点をひしひしと感じるようになりました。とくに今回の診療報酬の改定による外来管理加算の「5分間ルール」や「後期高齢者医療制度」など、現実の診療とあまりにかけ離れた医療政策には唖然としております。
さて当会の活動は、地域医療の担い手としての「推薦医制度」、市民への健康情報誌「きらら」の発行、トクホの調査も行う「大阪生活習慣病予防ネットワーク」など、他の学会などでは見られない活動の幅広さとその先進性、患者さんへの密着度の高さを感じておりました。また講演会は、開業医にも参加しやすい曜日と時間帯に設定されており、その内容にも他の学会とは違う情熱的な雰囲気を感じておりました。このような会もあるのだと感心していたところが、今回思いがけずに理事にと声がかかり、山家前会長のあとを継がれた福田新会長のもとで、その務めを果たすこととなりました。まずはこつこつと職責を果たして行きたいと思っております。

 

理 事    中尾 治義
堺市中区深井東町で内科小児科を開業して20年目です。昭和51年大阪大学卒業後、阪大病院関連の桜橋渡辺病院、阪大病院放射線科と研修し、昭和54年7月より阪大第3内科内分泌研究室の故武内望先生、古賀正史先生のお世話になりコレステロール、脂質代謝の
研究を始めましたが、翌年、原因不明の急性肝炎を患い入院、大学での研究を断念、3年ほど阪大の先輩の個人病院で遊ばせて頂き、体力回復、昭和59年4月より平成元年4月に開業するまで阪大第3内科関連病院の愛染橋病院内科に勤務のかたわら阪大研究生として第3内科内分泌研究室に再度お世話になりました。開業は内科小児科の医院を継承する形でしたので、小児科を一から勉強することになり堺市小児科医会ならびに大阪府小児科医会にも入会し、往診に在宅医療、老人ホームの管理医師の仕事とか、どれもこれも初めての経験ばかりで、あっという間の20年でした。生来の虚弱体質を改善できるかも?と関西ドクターズラグビークラブで草ラグビーをしておりましたが、2年前ラグビーの試合で足を骨折、ブラブラしているところを小林敬二副会長に捕まり、堺市医師会内科医会のお手伝いをさせていただいたのが運のつき?大阪府内科医会の中間法人化に併せて堺市内科医会も白畠俊治先生のご尽力により大阪府内科医会に参加、そこで山家前会長のオーラにしびれてしまいました。特に山家先生の提唱された「推薦医」の主旨に感動し、府内科医会の活動に積極的に参加させていただくようになりました。生涯一町医者をモットーに専門医など一切取得せずにやってまいりましたが、福田正博新会長の下、一から内科学を勉強しなおして大阪府内科医会の発展と会員の皆様のお役に立てればと思います。趣味で少しギターをしておりますので、歌って踊れる理事を目指そうかなどと考えております。

 

理事  村田 秀穗
昭和52年に医師免許を取得してから、もう早や30年を数える年齢になりました。生野区で内科を開業していた父親が昭和56年に他界したあと、急遽、関西医科大学のCCUをやめて父の後を継ぐことになり、その後昭和60年4月に兄と現在の村田病院(脳神経外科・循環器内科)を開設し、現在に至っております。今から思えば内科医としての父を同じ医師として見ることが出来たのは、ほんの3年程で、父から内科の開業について教えを受けたことは何もなかったのかもしれませんが、今こうして内科医として働くことになった一番の大きな影響は、やはり父親であったのだと思っています。まだ私が小さかったころ、父親に「髪の毛がうすいこと」についてたずねた時、父は仕事でレントゲンを浴びたからだと言っており、医者になってからも私はずっと本当にそう思ってきました。そのため、大学のCCUで心臓の検査でカテ室に入るのは極力避けるようにしていましたが、自分が40歳を過ぎるころ、ようやくどうもそれはレントゲンのせいではないことを知りました。
細木数子さんの本によると、私は土星人プラスで今年の2月まで大殺界という状態だったようですが、そのど真ん中、平成17年に日本内科学会の認定内科専門医(総合内科専門医)のテストを受け、はじめて専門医という名称をいただきました。大学病院を4年も勤務しないままやめてしまった私にとっては、医師になって初めて受けた試験でした。
そのあと昨年、大阪府内科医会推薦医の肩書きをいただき、何かお手伝い出来ることがあるのではと思い、今年の「女性と医師が語り合う会」にはじめて出席させていただき、ようやく少しずつ外に向かって恩返しをして行こうと思い始めていた時でした。2月末日に新会長の福田正博先生から突然のお電話をいただき、これがちょうど外に自分を配信できるひとつのチャンス(大殺界が明けたこと?)と思いました。特に抱負らしき抱負はないのですが、多くの先生方と話をして、内科医の出来ることを色々と考えていきたいと思っています。
Never until tomorrow, if you can do it today.
父の診察室の黒板に書いてあった文字を今、なつかしく思い出しています。